臨床の学び舎おんせいげんご BLOG

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第1回 ことのわ会 開催

 去る2021年6月28日の昼下がり、龍安寺近くの古民家にて、参加人数2人で開催されました。美味しいお抹茶とお菓子をいただいた後、ルリヤの『言語と意識』第Ⅰ講を読みました。

 

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ことのは会


 ルリヤはソビエト連邦の心理学者で、医学部を卒業し失語症研究で博士号を取得しています。1920-30年代に、ヴィゴツキーらとともに人間の認識活動や言語活動の構造と機能について研究し、神経心理学の草分けとなりました。ルリヤは1977年に75歳で亡くなっていますが、この本は1977年に著された晩年の書です。

 

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ルリア、ヴィゴツキー

 第Ⅰ講では、まず意識とは何か、これまでの心理学がどのように人間の意識活動を捉えようとしてきたのかが概説されています。

 人間の意識が、人間の意識を扱うという難しさ所以。哲学や心理学、生理学など様々な分野から捉えようとされてきたものの、どの学派もなかなか意識というものの本質に迫れなかったようです。そしてついに、ルリヤの師匠であるヴィゴツキーが、“人間の高度で複雑な意識活動は、大脳の奥底や、精神の奥底に備わっているのではなく(中略)労働や労働と結びついた社会生活によってつくり出されている”と解決したといいます。ヴィゴツキー以前の心理学では、人間は内面でどのように外界を認識して意識が生まれるのか、にとどまっていたのが、ヴィゴツキーは内面に加えて、対人関係や社会関係といった外部との関係性の中で高度な意識と言語が生まれる、という視点を取り入れた点で画期的だったのではないでしょうか。

 

 かの有名な「ルリヤ神経心理学の基礎」という書籍では、その超越した観点と冴えわたる論理、ロシア語特有の難解な文章が印象的ですが(まだ読み始めたところです)、本書第1講の中では、これまでの心理学研究ことにアメリカの行動主義者を、思いの外わかりやすくディスっています。時は米ソ冷戦の真只中。そして社会主義国家の匂いもする“労働”という単語。その時代背景と人間らしさに少し親近感がわきました。心理学の歴史をただ並べてもなかなか頭に入ってきませんが、ルリヤの視点で生々しく説明されると何となく頭に残りそうな気がします。

 

 ここまで読み進めて、アメリカ人とロシア人、言語が違うと思考や文化も変わるのだろうな、という話になりました。言語によって思考が作られるのか、文化や国民性が言語に反映されるのか、どちらもが絡み合っていると思いますが、興味深い。言われてみると行動主義はアメリカっぽい気がするし、深く深く突き詰めていくのはロシアっぽいのかも?はたまた文字のない言語ではどうだろう。そういえば、大学院で私が最初に取り組もうとした研究テーマは“言語の違いが人の認知・思考・会話に及ぼす影響”というものでしたが、実験が難しくボツになったのでした。

 

 第1講の終わりには、動物の言語と人間の言語について触れられています。動物はその「気分」を、鳴き声なり動きなりで表現し、それが仲間に伝播しているだけで、人間の言語とは質的に異なっていると書かれています。個人的には、人間の言語も同じところから発生したのではないかなと感じるのですがどうなのでしょうか。

 

 さて第2講以降は、人間がものごとを認識するときにことばがどのような働きをするのか、様々な角度から掘り下げていくようです。あーだこーだ言いながら年単位で少しずつ読み進め、気づきが得られたり臨床での経験が深まったりすると楽しいですね。第2回、ぜひご参加ください!

 

 (文:英)

 

 

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Luria 言語と意識

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