臨床の学び舎おんせいげんご BLOG

『臨床の学び舎おんせいげんご』の各部門の予定や今までの勉強会の内容などがチェックできます。

光華おんせいげんご(at 京都アスニ―)、やはり楽しかったです。

 本日2020年11月14日、京都アスニーにて「光華おんせいげんご」が行われました。参加人数は・・・3人!(笑) でも、3人がそれぞれの個性の上で、お互いの「いつも」を超えた意見交換の場になっていたように思います。この少人数なところもまたこの勉強会の醍醐味のような気がします。もし参加者が多くなっても、この自由な議論の場という雰囲気は大切にしたいと思います。

 

 内容は、ひとつめの演目「ジャルゴン失語に対する母音を中心とした聞き取り訓練の経過(担当:英)」を軸に、「言語訓練の意味について考える。私たちの立ち位置とは?(担当:古田)」にかかりながら、3時間、盛り上がったという感じですね。「「は」を「た」や「か」に聞き間違えるという誤聴について(担当:古田)」は次回以降への持ち越しとなりました。 

 

 とにかく、ひとつめの演目「ジャルゴン失語に対する母音を中心とした聞き取り訓練の経過」の英(読み:はなぶさ)さんは、ほんと、勉強になりました。

 前回からの続きでお話をして頂いたのですが、昨今、いったいどこの勉強会で1時間以上もPresentationをする勉強会がありましょうか・・・もちろん、私と関先生が途中でいろいろと質問するから長くなっている分もあるでしょうが、ひとつの演題で正味3時間近く。それもその内容はある症例さんとの関わりついての4年間に渡る経過報告。古田がうだうだと話す言語学や音声学などの学び系ではなく、実際に関わったリアルな内容をもとにしていろいろな意見を交えた3時間・・・非常に興味深い時間でした。

 

 演目の内容と詳細はまたご参加いただいた折に、英さんからお聞きいただければと思います(これはね、もうモリモリの大作ですから、ここで内容を要約するのは大変ですので…(^^;))。私がこの演目から学んだことは、その方の言語障害のご様子をよく観察することの大切さ、それに応じた課題や方法をしっかりと考えることの意義、それによるご様子の変化を見逃さない姿勢ですね。そんなのは当たり前のことだとおっしゃる人もいるかもしれませんが、私個人としては容易なことではないと思っています。英さんの取り組まれた長期にわたる(まだ継続中…)やりとりは、言語の困難に臨むSTさんとして、とても模範的な一例だと感じました。そして、なにより、ジャルゴンという複雑な状態になられても、言語の障害はその方にとってより良き方向へ改変されていくのだという実際の経験を報告してくださったことです。演目を担当して頂いた英さん、そして、このような報告に賛同してくださったご本人さんに感謝です。興味深い時間でした。

 

 ふたつめの演目「言語訓練の意味について考える。私たちの立ち位置とは?」には、ひとつめの演目から自然と繋がりました。

 この演目の温度感を文面でうまく説明するのは難しいですね。多くの方が自らの在り様として、あるいは同業者の在り様の批判として考えさせられることだと思います。今回は参加者3人での議論でしたが、その中心は、STさんからの提案や課題はその方の「今のご様子にとって最適の刺激であること」という視点の大切さでした。「今のご様子にとって」という点、「最適」という点、このあたりが難しいけれども、その方が次の一歩を踏み出そうとしている時に、もっとも自然でサッと踏み出せるステップを提案する。私たちが描いた絵図に向けて何かをさせるのではなく、その方の最も近い「次」を共に考えてサポートする。それが私たちの立ち位置ではないかと。

 また、中枢性にせよ運動障害性にせよ、音声言語に困難を生じた方がいわゆる「改善」というご様子に向かうのは、私たち(の課題設定や方法論)がその方のできないところを出来るように補填するからではなく、その方ご自身が、ご自身の「今まで」をベースに「次」の自分へ自ら歩を進めるきっかけになったからであると考えたい。やはり、その方の「改善」に向かう最もたるエネルギーはその方の「自然回復力」であると考えたい。だからこそ、私たちは上述した「その方の今に対する最適な刺激」にこだわる必要がある。(つまり、最適な刺激とは、その方の自然回復のベクトルをどれだけ妨げずに助長できるかという点がだと思う。)

 一方、その最適な刺激については、音声言語を産出するLINK(Speech chain)の中で考えることが有効ではないかと。それは、運動障害に対して運動を行う、呼称障害に対して呼称を行うというような欠損に対する補填を願うような対抗処置ではなく、運動に困難があるのなら、ほかの保たれている部分(例えば聴覚や音韻知識)を総動員して、今動ける中で新たな運動計画とその実現を試みる機会を提供する、中枢性(概念のレベル)の症状をお持ちの方(例えば、音韻などの言語知識の運用に滞り生じてしまう)であっても、視覚聴覚の経路を活用して、ほかの身体部位の運動計画などからもイメージ化(概念化)を提案していく。その方の「今」が、容易に「次」へ踏み出せる一歩のきっかけを、〇対〇というような視点ではなく、音声言語を運用するヒトの能力全体を俯瞰した視点から考える。それが最適な刺激になるのではと議論されました。

 

 

 ソーシャルディスタンスを保ちながらの対面の勉強会。冒頭に書きましたように、3人の「いつも」を超えた議論。やはり、良いものだと思いました。個人的な感想ですが、STさんはSTさん同士(なるべく職場を超えて、時にはSTさん以外の方とも)で、自分の経験や考えを話したほうが良いと思う。それによって何か具体的な答えのようなものが見るかるわけではないけれども、自分の考え方を確認したり、関わりかたの在り様や展望について共鳴したりする良いきっかけになると思う。とにかく、私たちの職域はとても大変なことに関わっている領域ですから。

 私は音声言語について知れば知るほど、その複雑で深淵な魅力を知るとともに、私たちがそれに困っている方と一緒に、良き方向を模索することの意義を感じます。

 

 もしこのような機会に興味はあるが、なかなか相談したり、議論したりする勇気が出せない方、ホント、気楽にお越しください。ながながといろいろ書きましたが、この勉強会は・・・かなり「ゆるい」ですから(笑)

 

(古田)