臨床の学び舎おんせいげんご BLOG

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空耳ね。空耳。

(古田)

うちの後輩さんから、興味深いYou-tubeを紹介されました。いわゆる「空耳」。

 

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 空耳って、その人の実際の発音を「無視」して、自分の言語知識で勝手にそう聞こえたように解釈することとでも言いましょうか。つまり、音声と言語のすれ違い。

 発話者の音声に対して「意図的に無視」という場合もあるでしょうが、その発音が自分の知らない外国語の場合はそもそもその音の並びの理屈がわからない。その音声を解読する言語知識がないわけです。なので、その音声を聞く作業は「結果的に無視」という受け手の手前勝手な状態になってしまう。そして、残念ながら相手の発音を無視している状態であるのに、よせばいいのに相手が私になにか言っているから聞いてあげなきゃと聞き手は余計な気を回す。それはまるでカバンから2分後のプレゼンで使う書類なるものを必死で探すようなもの。問題はその書類がなんなのか明確にわからないのに探していること。カバンの中(自分の言語知識(=大脳))からは、これか?これか?とそれらしい候補が引き出されてくる。(この辺が本当にすごいわけなんだけれども)なかにはだいぶ怪しいものもあるだろうけれども、結果的にそれらしい候補、つまり、自分の言語知識で意味をつなぐことができる候補が見つかってしまう。

 Aさんが発話した音声に、Aさんが思っている意味と、Bさんが無理やり導いた意味、全く異なる2つの意味を完成(認識)してしまう状態。AさんにとってもBさんにとっても、そっくりそのままに聞こえる例はなかなか少ないけれども、それが比較的みごとなものを「空耳」って言うのでしょうか。

 

 話者が発音した音波を音声として知覚するために、ヒトは耳から大脳を含めていくつもの関所を設けているらしい。「空耳」ではそれぞれの関所のセオリーが聞き手の思い込み(聞き手の都合のいい解釈、意味)によって踏み散らかされている・・・とでも言いましょうか。

 その関所のいくつかは、厳しい時などは周波数とか音圧変化とかそういう通行手形をいちいち確認して、これはこっちであれはあっちとかしていると言われている。しかしながら、この日ばかりは「お上」の知り合いらしけりゃ素通りで!ぐらいの緩さになっている。

 

 まぁ、やはり「そういう音声に聞こえている事」って、「そういうふうに聞きたい」という聞き手の願望(無意識的なものも含む)にまみれてしまうことも少ないくないのでしょうね。どういうときでもね。

 

 以下は、その動画の外国語話者の発音のSpectrogramです。発話しているのは「Is it possible to return this?」です。

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次は、その英語を聞いた日本人の方が発音した「いず、パスポートとりたいです」です。

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最後にその両者を並べています。

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 まぁ、似ていると言えば似ている。

 ただある程度似ていれば、もうそれ以上の細部はどうでも良いのでしょうね。この発音された文が英語と日本語の双方において「意味」を持ちえるために、細かな発音の違いはもう「聞こえない」のでしょう。

 

 以下の動画もすごいです。お気づきだと思いますが、文字のテロップが私たちに音声とほぼ同時(あるいは先)に「意味」を伝えてきますので、もう「音声」なんてちょっとでいいんでしょう。特に中盤は「こういう動画」という文脈効果のようなものも手伝っているので、そう聞こえないような気がするけど、面白いからそう聞きたいなぁという「空耳欲」みたいなものも感じますw

 

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