前回に引き続き、ルリヤの『言語と意識』の第Ⅵ講の「大人の言語教示による子供の行為の調節機能は漸次的に発達する」との内容を、読み進めました。
大人の言語命令に対する子どもの運動反応(バルブを押す)をみる実験において、
- 2歳の子どもは、「押して!押して!押して!」という言語教示に対して運動を開始するが、教示がなくても押してしまう。
- 2歳の子どもは「ランプがついたら押しなさい。ランプがつかなかったら押してはいけません」との教示に対して、教示を覚えることが困難。
- 2歳半の子どもは教示を反復できるが実際に実行することは困難。
- 3歳の終わりごろになって指示に従って運動できるが、始まった運動は停止の教示があっても続いてしまう。
・・・という内容が紹介されています。
このことについては、教示の一つの環(註1)によってひきこされた過程が惰性をもち、教示の次の(制止の)環をこわしてしまうとの説明がなされています。
さらに次の段階の実験では、子ども自身の言語(行為)が自分の運動反応を調整できるかをみています。
一つの信号(例えば赤い信号)に対して「よし」と言い、バルブを押す。他の信号(例えば緑の信号)に対して「よくない」と言い、バルブを押さない という課題を与えます。
この実験では、年齢の低い段階では「信号に対する応答(言語反応)自体の誤りが多い」「言語反応では正しく応答しても、運動反応に誤りがみられる」という現象が観察されますが、3歳ごろになって初めて、言語の意味的側面に対応して運動を調整しはじめるとの結果が得られたとのことです。
この研究は、精神薄弱児(註2)や脳衰弱症(←身体的な病気や中毒の結果として、発達に遅滞が生じると本文で説明されています)の子どもに対しても行われ・・・
- 重度の知的遅滞がある精神薄弱児は言語教示を覚えることができても、信号の色に関係なくどんな信号でもバルブを押してしまう、
- 脳衰弱症の子どもはすべての信号にバルブを押すグループと、「押さない」反応が一旦出ると「押す」反応が制止されてしまうグループに分かれる。
・・・との結果が紹介されています。
これらの反応から、精神薄弱児の場合は言語系の病的惰性が言語行為の調整機能の破壊をもたらしているのに対して、脳衰弱症の子どもは、言語系が運動系より可動的で、調整的役割を保持していると捉えられています。
これらの説明において、対象となった実験の対象となった子どもの言語発達(言語理解)の関与について、もう少し考慮されるべきではないかとメンバーから意見が出ていました。言語が行動(運動)を調整するという機能について、その点が明らかでなければ、判定は困難ではないかと。
また、言語による行動調整については、認知症の方においても観察すべきポイントであると考えられます。次の第Ⅶ講「内言とその大脳における組織化」も少し読みましたが、内容は次回と合わせてレポートしたいと思います。
註1:これは、ルリアの神経心理学のテキストにはよく登場するのですが、「ネットワーク」というほどの意味と考えていただけたらと思います。
註2:文中の精神薄弱児などの語は書籍(原著1979年刊)の記載そのままを採用していますが、現代では知的障害」と同義と思われます。以下に『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「精神薄弱」より引用しております。
「知能を中心とした精神発達が幼少時期から遅れていて、社会的な適応が困難な状態を示すものの総称。この呼称は精神の欠陥を示すという、差別感を生む語感の悪さから、日本でも1970年(昭和45)ごろから「精神遅滞」という名称が、学問的にも対策の実際面でも使われるようになった。さらに90年代に入ってからは、厚生省(現厚生労働省)はその心身障害研究の「精神薄弱にかわる用語に関する研究会」で、法令上は「知的発達障害」intelectual developmental disorderまたはこれを略して「知的障害」という用語を用いることを提案、99年(平成11)から精神薄弱という表現は知的障害と改められた。」
関