臨床の学び舎おんせいげんご BLOG

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10/29 ことのわ会でした!

 前回は、直接的な印象の作用を克服して、言語教示に従えるようになるのは3歳6ヶ月ごろであるという内容まで読みました。

 

(前回のブログより引用。)

実験で、言語教示の内容と視覚的経験の内容を異なったものにする(例:「私がグーを出したときは、君はパーを出しなさい」)課題では、3才ごろまでの子どもは、求められている反応を正しく実行できず、直接的な模倣運動に変えてしまいますが、3才~3才6ヶ月になると、正確に実行されます。

 

 今回は、前回までの振り返りをしながら、その続きを少しだけ読み進めました。

 

 まず、一つの行為ではなく行為の系列についての言及がありました。

 2才ごろの子どもは、言語教示によって単一の行為を実行することができるが、行為の系列を実行することができない、ということが、B.B. レベディンスキーらの実験結果によって示されたというものです。

 

 例えば、(言語教示で)色を交互に変えておはじきを並べる課題。


 白の次に黒を置くが、その後惰性的な行為に「すべり落ち」、黒、黒を続けて置いてしまう。



 3歳半になると、このプログラムはうまく実行できるということですが、非対称的なプログラム(2つ白を置いて次に1つ黒を置く)になると実行困難とのことです。



 さらに、自身の運動の交替を必要とするような円と十字を交互に描く課題では、4才~4才半になって、はじめて実行可能となると述べられています。

 

 この実験結果が、大人の言語教示による子供の行為の調節機能は漸次的に発達すること示すとされていますが、この「大人の言語教示に従う」という行為に関わっている諸々の機能(記憶、注意、言語理解等々)について各発達段階でどのように捉えるべきかという視点も合わせて考える必要があるかと思われました。

 

9/17 ことのわ会でした(^^)/

ことのわ会では、引き続き「ルリア 言語と意識」を読み進めています。
 
第Ⅴ講では、語の意味場の構造=語の背後には多様な結合系(音声的、状況的、概念的等)が存在していることや、語結合のなかでの選択機能の生理学的基礎となっているのが「強さの法則」であることを学んできました。

 
 第Ⅵ講では、心理過程の調整の手段としての言語行為の機能が述べられています。
まず、知覚を組織化する語の役割について、色の知覚に対する言語行為の作用についてのサピア―ウォルフの仮説(言語的相対論)とそれに対する批判が紹介されています。
 アメリカの言語学者E.サピアB.L.ウォルフは、「色の名称を示す語の体系が色の知覚過程や色の識別・分類能力を大きく条件づけている」という仮説を提起しました。
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 色の名称(呼称)が色の分類過程に影響することは明白と考えられますが、レネバーグ、ロバート等の研究者は、語と知覚の関係は、サピア―ウォルフの仮説よりもはるかに複雑で、多くのものによって媒介されていると根拠を示して批判したとのことです。
 
 次に、意志的行為(本能的ではない、計画を立てて行う行為)の組織化における言語行為の役割について触れられています。
 ある心理学者たちは、意志的行為は何らかの精神力を基礎にした意志力の結果であると考え、別の立場の心理学者たちは、すべての行動を条件反射あるいは習慣に帰し、機械的に説明しようとしました。パブロフの条件反射理論を高次の心理諸過程にもあてはめ、意志的行為を複雑な条件反射とみなそうとしたのです。

 しかし、意志的行為を科学的に分析し、説明することを目指したヴィゴツキーの基本的立場=意志的諸過程は、子どもの具体的活動の発達の中で、子どもと大人との交際の中で形成されると考えることが必要不可欠である、と、その立場の確認が、科学的心理学の発達に多大の貢献をしたと述べられ、以降にその内容が説明されます。
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 言語発達において、言語獲得の最初の段階では、たとえば母親が子どもに「〇〇をとって」「〇〇はどこ?」と話しかけることによって、全体的な背景から命名された対象を抽出し、子どもの運動行為を組織します。この場合は、随意的行為は二人の人間の間で行われます。
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 発達の次の段階で、子どもは自分でことばを話すようになり、自分自身に言語命令を与えます(「□□ちゃん、〇〇をとって」など)。次の段階で子どもは自分の外言(はじめは、行為に随伴する形で、次には行為に先がけて発話)を利用しはじめ、その後に、外言が内面化され、内言(音声化しないことば)となります。
 
 この内言が行動の調整機能を担い、言語行為に媒介された随意的行為が発生すると考えるのです。(この過程は、ガリンペンらによって研究されました)このことによって、語には認識的機能と伝達手段としての機能とならんで、調整機能が存在することが明らかにされました。
 
 上述のように、言語行為の調整機能の発達の第一段階は、大人の言語教示に従うことですが、その能力がどのように形成されるかが、次に述べられています。
 J.ブルーナーによると、生まれたばかりの年齢期でも、母親の言語行為が子どもの定位反射をひきおこす(例:母親が子どもに何か話しはじめると、子どもの吸乳運動がすぐに止まる)が、これらの事実は、言語の調整機能の前史にあたるものと考えられます。
 子どもはおおよそ生後1歳2か月ごろ、「マリをチョーダイ」「オテテをアゲテ」等の大人の命令を聴くと、その応答として言われた対象に視線を向けたり、その対象に手を伸ばすようになります(特異性のある定位反射で反応)。

 しかし、この時期には、複雑な条件(指示するものを別のものより遠くに置いたり、目立たない色にしておく)の場合には、自分にとって強い定位反射をひきおこすものに反応してしまいます。また、同じ教示(例:棒に輪をはめて!)が繰り返された後に異なる教示(例:棒から輪をとって!)を与えても、先行の行為が惰性として残ります。
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 このような「困難」は、1歳半ごろまでの子どもに観察されますが、徐々に消失し、2歳半ころになると、この種の教示を正しく実行することができます。しかし、2~2歳半の子どもは、課題が視覚的な経験で強化されている場合には十分実行できますが、大人の「純粋な」言語教示には服従することができません。2歳の終わりになってはじめて、「純粋な」言語教示に服従でき、はじめは教示直後しか実行できませんが、のちに実行を遅らせることもできるようになります。
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 さらなる実験で、言語教示の内容と視覚的経験の内容を異なったものにする(例:「私がグーを出したときは、君はパーを出しなさい」)課題では、3才ごろまでの子どもは、求められている反応を正しく実行できず、直接的な模倣運動に変えてしまいますが、3才~3才6ヶ月になると、正確に実行されます。
 
 このことは、直接的な印象の作用が克服され、言語教示の作用が強くなると捉えられますが、この時期はちょうど運動の言語調整機能の大脳の装置である前頭葉の構造が成熟する年齢にあたるとのことです。
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今回はここまでで、次回以降に、大人の言語教示に従う能力の発達の続きから読んでいきます。言語が行為の調整を行う機序について、前頭葉の機能やヴィゴツキーの「外言」と「内言」についての理解も深めながら理解を深めていけたらと思います。
 

6/2 京都おんせいげんごでした。

 遅くなりましたが、6/2土曜日に行われました京都おんせいげんごのレポートを載せておきます。ちょっと長いですけど、考えさせられる内容です。

 

 ルリア失語症理論を、『失語症の基礎と臨床(金剛出版)』の第4章あたりから紹介してくださいました。


 とりあえず、ルリアの失語症理論はいわゆる神経心理学の1派となるわけですが、とりわけルリアは失語症について「系的力動的局在論」という視点を唱えています。それはヴィゴツキーの心理学やヤーコブソンチョムスキーなどの言語学、更にはパブロフの生理学(ワンちゃんのヨダレ話だけではなく、高次神経活動学説とか中枢神経の形態学など発表されていたらしい)を取り込んで、統合したものらしいです。


 ちょっと表現が難しいのがしんどいけど・・・言語活動をはじめとする高次の精神活動は、階層的構造を持つ多くの構成要素(環)からなる機能体系、それぞれの「環」を保証する皮質・皮質下の諸領域の協調的な働きにより実現する…としています。

 

 いやぁ、難しいことばが並んでいますが、この「環」ってのがいわゆる「リンク」でどうでしょうか。言語活動をはじめとする高次の精神活動は、いろんな機能が階層的にも協調的にもリンクしているって感じですね。そして、そういう状態を「力動的」とするわけです。「力動」というのは『精神医学ハンドブック』からの引用で「心的現象の基礎にさまざまな心的な力が作用しあっている」とのことでした。

 

 どうでしょう?なにやら大脳の働きを動的に捉える感じがしませんか?そこがこのルリアの失語理論の魅力だと思いますね。解釈の基本が個々の場所の局在論に終わらず、「動き」があるんですよね。

 

 ルリアは脳に3つの基本的機能単位系というのを提唱しています。

  • 脳幹・辺縁系:皮質の緊張(Tonus)と覚醒を調節。
  • 大脳半球後部:情報の受容、加工、貯蔵
  • 大脳半球前部:複雑な型の活動のプログラミング、調節、制御

 また、これらを上下(垂直)の関係と前後(水平)の関係として結びます。

  • 皮質と皮質下構造の間>垂直的な機構
  • 皮質間:水平的構造

 また局所脳損傷による症状については…

  • その部位が保証していた環(リンク)の障害による一次症状があり、
  • それに続いて、二次的に機能形全体が織りなす系的障害、
  •  それらに対して機能的再編成によって生じる


…としています。例えば、その脳の領域がどんな機能を持っているのかについて神経心理学的分析を行う際には、これらの症状の種類を考慮(一時的症状を区別し、他の局所症状と比較検討)して考察されるとのこと。

 

 例えば、無理やりですが「ドーナッツがうまくできずに焦げちゃった」状況を例に説明すると、生地の段階で卵とかベーキングパウダー入れ忘れるエラーもあるでしょう。そして、それは結果的に焼くときに焦げる、膨らまない状態として顕在化する。挙句、それをごまかそうとして、なんとかカリッカリでクリスピーな・・・いやいや、そんな良いモノではないなと最終的にまったく失敗に至る。つまり…

  • 生地の段階で全体のリンクを損なう一次症状がある。
  • それ故に二次症状としてこげるし、ふくらまない。
  • なんとかならないかなと代償的な再編成に取り組んじゃったので…最終的にあらぬものになる。
     

 場合によっては、元々の生地はちゃんと準備したんだけど、単に火が強すぎて焦げた場合もあり得るでしょう。その場合にも「火が強い」という原因だけでなく、早々に火を止めるという行為が欠如していたことも関係するでしょう。いずれにせよ、「うまいことできずに焦げたドーナッツ(症状)」と「その原因」は一対一で考えるのは安易だということですね。

 

 大脳機能が織りなした「症状」についても、大脳にそれを担う部位があって、そこが調子悪いから「症状」が生まれるというだけではないんですよね・・・。一次、二次、そしてそれに対する機能的な再編成などいろいろと織りなされていると考えるわけです。


 まぁ、実際にご様子を拝見する時には、この仮説通りでも少なくとも3つ巴の状態ですから、簡単に分けられるものではない気がしますね。でも、脳画像見てココがコレだからアレが出るってだけの短絡的に因果関係を導かずに、こういう力動的な視点をもつことは有益でしょう。もう古い書籍ですが山鳥重氏の『神経心理学入門』においても陽性/陰性症状という用語に垣間見える解釈です。

 

 そして、ルリアがいうには…高次精神活動が正しく実現されるには、大脳皮質の神経活動が高度の選択性と適切な易動性を保っている必要があるとのこと。ここ、今回、個人的に興味深かったところです。

 

 例えば、「強さの法則」というのを挙げています。


 それは、正常な神経過程では「強い(重要な)刺激には強い反応が、弱い(重要でない)刺激には弱い反応が出る」とのこと。まぁ、正常とされるヒトは、外界からの刺激の度合いに対する自己の反応を、その刺激に適切な強度でうまく反応することができるってことかなと。

 

 ちょっとズレるかもしれませんが、とりあえずこの仮説の概ねの理解のために、「動き」を例にしてみます。



 上記の机の上にあるもので、地球儀を持ち上げる力で、鏡の前の花を持つとどうなるでしょう?また、キャンディーボックスorキャンディー単体では重さ(刺激)に対する反応は適切に調整される必要があります。ほかにも、電気は一度付けたらある程度はそのままでOkですが、本のページはその都度めくります。本をめくるペースで電気をカチャカチャと付けたりする必要はないですね。


 こういう行為においても、自分にとって「それ(刺激)が何であるか、どうあるのか」に対して、「こうすべきである」が適切に選択されて実行される必要がある。そのように人は常に刺激に対する反応を妥当な程度にシレッと調整しているんですね。

 

 その能力において、病的な状態では・・・

 

 「強い刺激にも弱い刺激にもほぼ等しい反応をしてしまう」傾向があると言います。これを「均等相」といい、高度の選択性が失われていると考えるようです。
また、「ある神経過程から他の神経過程への速やかで流暢な転換が不能になる」状態も生じるとして、これは神経活動の停滞であり、易動性の低下(惰性的ステレオタイプ)といわれるそうです。

 

 上の「机の上のモノ」と「動き」の例で言えば、「花」を持つ感じで「地球儀」を持とうとすると、それらの刺激量(重さ)に対して選択性が有効に働かず、「…ん?」とうまくいかない。逆の場合、「地球儀」を持つ感じでは「花」の持ち具合が(重さに適していないので)かなりぞんざいな扱いになるという感じでしょうか。ページをめくるペースで電気をパチパチするような状態(流暢な転換が不能)が起きるかもしれないわけです。

 

 この辺りは山鳥重氏の注意の選択性、転導性という用語にも溶けこんでいますね。とにかく、「刺激」に妥当な「反応」が選択されていない、流暢に切り換えられないという状態が大脳機能の低下の際に生じると指摘しています。

 

 興味深いのはこの視点で失語症の「錯語」も説明するわけです。

 

 どういうことかというと、例えば、鉛筆を呼称する際に大脳には「えんぴつ」という語彙の隣近所に「ボールペン」とか「くれよん」とか「筆」とか、いわゆる同一カテゴリーに存在できる語彙がいるわけです。イメージ図です。

 



 そこで、上記の均等相を持ち出すと、そこから語彙が選ばれる際に、どの語意にたいしても「これはこの語である蓋然性(確からしさ)においてほぼ等しい反応をしてしまう」わけです。その結果として、その大脳機能としては鉛筆なのにサインペンとか筆とかを錯語として発語することを良しとしてしまうというわけです。もちろん、この後に「保続」が生まれる理由も説明可能でしょう。つまり、「ある神経過程から他の神経過程への速やかで流暢な転換が不能になる」ために、同じ語を話すことを続けてしまうことを良しとしてしまうわけです。

 

 また、この同一カテゴリーという架空の認識範囲には慎重になる必要があります。例えば、上述の「鉛筆」ですが、「文房具」というカテゴリーを用いれば定規やコンパスとも同じカテゴリー内です。また「最近、見かけないけど家の机の上にあったなぁ」というカテゴリーを用いれば、キッチンやリビングにあるものにも近づいていきます。


 また、前回の「ことのわ会」のBlogにコーシカ(ネコ)の意味場において近接する語彙(語の背後にある結合)があるという説明の中で・・・

 

音声結合(音の類似性にもとづいた結合)
 >クローシカ(小片)、クリューシカ(蓋)、アコーシカ(小窓)
状況による結合
 >ミルク、ネズミ
概念的な結合
 >野生の動物ではなく家畜、無生物ではなく生物

 

 …などをみると、正常では押さえられているという音声結合など「均等相」に至った場合、つまり、話すべき語の処理過程において、他の音素に対して「これはこの語である蓋然性(確からしさ)においてほぼ等しい反応をしてしまう」結果、音韻性の錯語が起こるとも考えられるわけです。


 いやぁ、興味深いですよね。語で間違えたら語性錯語、音で間違えたら音韻性錯語の背景の内的機構について視点を持とうとするわけです。こういう考え方って、学派によっていろいろと考えだされていそうですけどね、これが大脳の実態!とまではいかなくても、おしゃべりに困っている方のご様子を拝見する日々の経験に照らし合わせても、一定の説得力を感じます。

 

 また、Luriaの理論の基盤にある言語学の知見について、Jakobsonさん(ロマーン・オシポヴィチ・ヤーコブソン。ロシア人の言語学者ハーバード大学マサチューセッツ工科大学など多数の大学で名誉教授を務めた。from wikipedia)からの引用にて、「言語行動には選択と結合という2つの基本的要因がある」として紹介されていました。

 

 選択とは「類似により結ばれている言語単位間からひとつの言語単位を選び出す。」としています。例えばですが、数ある動物の名称のなかから「ライオン」を選び出すわけです。そして、それを結合するわけです。この結合とは「すべての言語単位はそれを構成する諸単位からなり、他の言語単位と結合した形でのみ現れる」ということらしい。なので、選択した「ライオン」が「おっ!ライオンがいるじゃん!」という形で他の言語単位を結合して、ライオンがいることの喜びを語る文になるわけですね。


 この選択と結合という考え方は、ソシュールで言えば、範列(パラダイム)と連辞(シンタグム)に通じますね。

 

 ルリアはこのような視点をもってして、失語症を以下のように3つの2分法を用いて6種に分類するそうです。

 

・範列的機構の障害(選択の障害)・・・左(優位)半球後部
・連辞的機構の障害(結合の障害)・・・左半球前部

・同時性結合の障害・・・左半球後部
・継時的結合の障害・・・左半球前部

・表出(符号化)の障害
・受容(符号解読)の障害

 

 「ライオン」が選び出せないのは範列的機構(選択)に課題があり、「ライオンがいるじゃん!」というような構文できないのは連辞的機構(結合)に課題があると考えるわけですね。それらは結合の種類で考えれば同時性あるいは継時性の視点としても考えることになる・・・。奥が深そうですが、少なくとも「運動・感覚」とかBrocaとかWernickeとか人名でわけておくよりも、その方のご様子に対して視点や考えを広げやすいですね。

 

とりあえず、以上です。興味深い時間でした。

 

古田

 

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7月30日、ことのわ会でした。

今回は、第Ⅴ講の続きで、語の多元的な結合=「意味場」の構造を客観的に調べる条件反射法についての紹介を読みました。


 定位血管反応(新しい刺激に対して、指の血管の収縮、頭部血管の拡張などが現れること)を利用した特殊な方法です。予め、いろいろな語に対する定位血管反応の消去が生じるまで、いろいろな語を提示し続けます。ここから、被検者に一つの検査語を提示し、その後に痛覚刺激(電気ショック)を与えます。これを何回も強化すると、語に対する安定した条件反射(手の血管、頭部血管の収縮=条件血管反応)がみられるようになります。


 次に、他のどのような語が検査語と同じような条件反射をひきおこすのかを、検査語と関係のない語/検査語と音が類似している語/検査語と意味的に関連している語 の3つのグループのどこかい入る語を多数提示して調べます。


 その結果、検査語と関係のない語では、何も反応が起こらないが、「意味場」に含まれる語は条件血管反応が起こることが明らかにされました。


 この方法を用いた実験で、正常な場合は音が類似している語では何の反応もないことなども明らかにされました。また、後続の研究では、中等度の知的障害のある児の場合は、意味的に近い語では反応がみられず、音が類似している語で条件血管反応がひきおこされ、軽度の知的障害のある児では、意味的に近い語も音が類似している語も、同程度に反応がみられるとの結果も得られました。


 さらに、語の意味論的な内容(意味場の構造)は文脈に依存して変化することなども調べられています。(現代からみると、電気ショックを用いるという方法には大変驚きましたが...)

 

 この講の最後に、語の意味場の構造についての知見をもとにして、「語の想起や対象の命名・呼称は、決してある一つの語の活性化でない」ことが述べられ、語の想起や対象の命名・呼称は、浮かび上がる結合の全体的な複合体(意味場)の中から、一定の語を選択する過程であり、「これまで考えられた以上に、はるかに複雑」であることが示唆されています。


 語の背後には多様な結合系(音声的、状況的、概念的等)が存在していること、語結合のなかでの選択機能の生理学的基礎となっているのは「強さの法則」であること、正常の場合は意味的結合(状況的、概念的結合)が音声的結合より優位であること、を再度確認し、失語症の方にみられる語想起困難のメカニズムについて考えを深めていく材料として、頭に置いておきたいと思います。

 

Youtube、パワーアップしてます。

先日、「臨床の学び舎おんせいげんご」のYoutube Channelを刷新しました。

内容は今まで通り音響分析ソフトWavesurferの使い方ですが、以前の動画をトピックごとに短くして、パッと見終われるようにしました。

相変わらずPowerpointのスライドを動画化しただけのものです。今回はBGMをつけていませんので、お好きな音楽など流しながら、あるいは分析対象の音声を分析しながら、動画をチラチラ参照してくださったらと思います。

 

www.youtube.com

 

またYoutube Channelのほうで動画化してほしい内容などあれば、ご一報ください。個人情報の観点などありますので、実際の音声を用いた動画は難しいですが…。

 

古田

6/10 Workshopでした。

ちょっと日が開きましたが、簡単に報告を。

この日はメンバーから以下の論文について検証したいとのこと。集まった4人がWavesurferを使って、「あ」の交互反復? 「ぱ」の交互反復? ・・・あ~のMPTですかね、とりあえずやってみました。

 

「声のon-off検査」の臨床的意義

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/29/2/29_2_161/_pdf/-char/ja

 

結果をメモして来ればよかったのですが、まぁ、一言で言うなら個人差がかなり大きい。提案してくれたメンバーさんはこのような発音と飲み込みの関係を考えてみたいとのこと。会としても双方の運動の関連は以前から興味深い点と思っていたのですが、いざ、しっかりとそこに考えを伸ばしてみると・・・なかなかうまく繋げられないなぁって感じがします。でも、そこから音声について(あるいは嚥下について)また深い洞察が得られるような気もしています。

 

いづれにせよ、こうして取り組んでみるのは興味深い時間です。

 

次回は7月16日になる予定です。

興味のある方はご一報くださいね。

 

古田

 

5/28 ことのわ会でした。

 前回は、概念の形成をもたらす心理活動が研究されてきた経緯と、概念を形成する操作は言語を介して行われるという内容を学び、今回から第Ⅴ講「意味場」とその客観的研究 に入りました。

 

「意味場」という語そのものは、辞書で説明されることがあまり無いようですが、「世界大百科事典」のなかで、以下のように言及されているようです。


…これまでの言語学的意味論で注目を集めたのはドイツのトリーアJost Trier(1894‐1970)の考えた意味場の理論で,客観的現実が人間の意識の中に反映される場合,言語的に形成される際にその言語の意味論的下位体系をなすなんらかの網をくぐることになる。現実のある断片は言語の一定の意味場と対応するが,この意味場は具体的な言語ではそれぞれ異なって区分されるという考えである。…


ルリアは、語の意味場について、「各語は全体的な意味のマトリックス(=母体・基盤)の中心として、全体的な複雑な結合系を興奮させ、一定の「意味場」を活性化する と説明しています。


 結合系ーつまり、結びつきの系列ということでしょうか。

 

 この講では、まず、意味場がどのように構成されているかの測定を試みる方法として、連想法が紹介されています。


 被検者に一定の語を提示し、想いついた他の語を答える というシンプルな方法ですが、その反応は、少なくとも2つのグループに分かれ、その一つは対象が含まれる具体的な状況の何らかの成分を想起する「外的連想結合」(例:家ー屋根、犬ーしっぽ)、

 もう一つはカテゴリー的な思考を反映する「内的連想結合」(例:犬ー動物、椅子ー家具)であることが示されています。また、単純な連想は時間的に速く行われ、複雑な連想は多くの時間を要することや、共通の連想が起こる頻度の研究なども紹介されています。(例:50人を対象に蛾を刺激語とした場合の反応は虫1、糞2、ハエ10、夏2、チョウ1、日光4 など)

 

次に、意味場の特徴について述べられています。


 語の背後にある結合は多義的であるとの前置きに続いて、「各語の背後には、必ず、音声結合、状況的結合、概念結合の体系がある」と述べられています。ロシア語の例が挙げられていますが、例えばコーシカ(ネコ)という語では、以下のような結合が考えられるということです。


音声結合(音の類似性にもとづいた結合)

 >クローシカ(小片)、クリューシカ(蓋)、アコーシカ(小窓)

状況による結合

 >ミルク、ネズミ
概念的な結合

 >野生の動物ではなく家畜、無生物ではなく生物

 

 そして、正常の成人では、音声結合(音の類似性による結合)は、ほとんど制止されて意識することはなく、意味的結合(状況的結合と概念的結合)が優位となっているのだと述べられています。

 このような意味的な結合が優位な状況が消失して、音の類似性による連想が意味的結合と同じ確率で浮かぶ特殊な状況が、大脳皮質が病的状態にあるときに出現することが、次に説明されています。

 

 この研究は、ロシアの生理学者パブロフ(古典的条件付の研究で有名な)によって行われたものなんですよね。

ja.wikipedia.org

 

 脳は正常な働きをしている時は、「強さの法則」に基づいて作用します。つまり、強い(重要な)刺激は強い反応を、弱い(重要でない)刺激は、弱い反応を引きおこす。その法則によって、大脳は選択機能を実行することができ、つまり、ネコをみて(ネズミではなく)「ネコ」と呼称することができるのも、この法則に因ると考えるということです。

 ところが、大脳が病的な状態に陥ると、この強さの法則が破壊され、すべての刺激(重要な刺激と、重要でない刺激)が、同じ強さの反応をひきおこしはじめる。あるいは、弱い刺激が強い刺激よりも強い反応をひきおこす、強い刺激が極度の制止をひきおこす などの状況がおこる。そうすると、大脳の選択機能が障害され、例えばネコを見て「ネズミ」と呼称したり、また普段は制止されている音声結合が意味的結合よりも能動的に現れたりして、ネコ=コーシカをみてクローシカと言ったりする場面もある...まさに、失語症に方々にみられる錯語の症状と結びつけて考えることもできます。

 

 今回はここまでで、次回は語の結合の選択や制止についての研究方法を、さらに学んでいくことになるようです。失語症の症状理解や、リハビリテーションの方略を考えることに有用と考えられる、興味深い古典です。

 

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