6/26 おと・ひと・ことばMeeting@KUAS
参考:
『音楽と脳科学:音楽の脳内過程の理解をめざして』 2016/4/21
S. ケルシュ (著), Stefan Koelsch (著), 佐藤 正之 (監修, 翻訳)
情動と音楽、音楽と社会性あたりについて
音楽を通じて、それにまつわる社会的情報をも私たちは感受する傾向がある。
ただこの傾向は音楽に限ったものだろうか。例えばワインにこだわる方は、ワインそのものの用途に関すること(味や香り)以外にも産地や歴史などについても知りたがる。他にも例が挙げられそうだが、ヒトは自分に取って好ましい対象については、その周辺情報も集めたがる傾向がある。冒頭の1行は音楽にまつわるヒトの行動ではあるが、それは音楽に限ったことではないだろう。音楽の特質とは言い難いが、音楽もヒトとそのような関わりを持つ類のひとつであろう。
音楽には「期待値」みたいなものがある。
予定調和(その音を続き(メロディー)はこうなることが多いよね〜)内での和音進行とそうでない場合に自律神経の反応が異なった。交感神経皮膚反応、EEG、心拍数などで計測。
ヒトは「その音楽の進み方」について何か期待している。意識的か無意識的かこのメロディーの先はこうあってほしいと求めている傾向がある。ポップスではこの聴衆の期待を裏切ったり、合わせたりすることで感情の緊張と緩和を織りなすようにすると聞いたことがある(突然、サビから始まるとか、典型的にイントロからAメロ…など)。音楽の構成を工夫することは商業的な成果(売れるか売れないか)が背景にある。しかし、ヒトがメロディーに対して期待する(緊張と緩和を得る)という本能?がその背景のからくりにあるのだろう。
メロディー・・・よくよく思えばこれはただ音が連続しているだけである。人はそれに期待して、かつ緊張したり、落ち着いたりする。何とも不思議な関係である。
上記の2点から、ヒトは自分にとって興味深いことに対して、その周辺となるような社会的な情報も求め、またそれによって心が癒されたり、興奮したりする。
一方でそれは広く見渡してみると、音楽に限ったことではない。例えば着る服の色によって交感神経の興奮がことなるとのこと。五感に分けて考えてみても、視覚的な絵画やモッフモフの生地に触覚経由で癒されたり、味や香りは当然のこと、ヒトを緊張と緩和させることは容易に想像がつく。また部屋の家具の雰囲気など複合的な感覚を刺激する環境設定なども同様だろう。
では、その類のなかで「音楽」はどのような特徴があるのだろうか。
音楽はその「共有」が簡便で即効性があり、短時間であり、また聞いている人も自分の発声を用いるなどして模倣のような形でそれに同調、参加できることが挙げられるのではないか。ある意味では心を刺激するツールをポータブルに持ち歩ける、これは他の刺激物とは一線を画すように思う。
いつのまにかその人の基準(文化)を形成することもある。
例えば「好きな絵」には個人的な傾向がある。音楽もしかり、その人の基準、いうなれば「個々人の文化」を容易に形成する。それが手軽に簡便に行える。「音楽」の利便性のわりに、ヒトの心への深度の深さを感じさせる。
また、メロディーやリズムを記憶できる。
音感のある人が「音階」として音楽を記憶する(脳内に記述する)のは、例えば、「「青森県」は「北海道」の「下」にある」というように地形における位置という本来、なんの境界もない事象について「青森県」、「北海道」「下」というような語(記号化)を冠して脳内に記述することと似る。つまりそれを記憶する教育がそれを可能にしている。
がしかし、そのような教育を経験していなくとも、音楽(少なくともメロディーとリズムくらい、正誤問わず)を記憶できる。鼻歌や歌唱など(自分の発音器)で記憶していることを示すこともできる。記号化して記憶していないにもかかわらず、再生できる。
※個人的にはここはかなり深い部分かと思っています。一体、何を記憶しているのか。そしてそれがなぜできるのか。
この曲は8分なのか16分なのか。
最後に最近の曲の話題となった。上記したように音楽はその人に文化を形成するので、個々人の文化間の比較において、異なった文化(世代)の難易度を異なった文化(世代)が同様に感じることは難しい。ましてや音楽としての正誤などはさらに難しい(そこには商業的な視点も往々に存在する。例えば今の若い世代が自ら好んで昔とは異なる音楽を聴いているとは限らない。)
ある曲が16分に聞こえるとのこと。それに対してそうでもないようなともいう。また音感のない私にはどっちもべつに…(^_^;)という状態。個人的にはむかしの雅楽や能にもリズムがあり、それは今のようなものとは異なり、容易に(意識的に)感じれるものではないがリズムがあるとのこと。それと比べていわゆる楽曲はある意味、分かりやすくリズムを刻む(8分か16分かは置いておいても。途中でリズムが変わっても意識されない範囲ではない)。
リズムは心拍の安定をその由来としていると考えるのがスタンダードだと思う。メロディーと同様にリズムにも「期待値」がある。リズムについても少し知識が欲しいなぁと思った。そんなことを考えながら、8分vs16分論争を聞いていました。
以上。
2025年3月29日 ことのわ会記
今回は、前回読み切れなかった「発話の内的意図」からです。
すべての言語発話の出発点は「動機」であると、前回学びましたが、動機そのものはまだ一定の内容をもっておらず、その内容を決める「内的意図の発生」という段階が想定されています。
発話の主体が、主観的な意味をどのようにしたら誰にもわかる語の意義の体系に変換できるのかを考え始める段階とも言えます。

ここで、「思想(ムイスリ)」という用語が登場します。
「思想(ムイスリ)」と言語発話の関係については、(心理学の分野では)思想がすでに出来上がった形成物で、それが言語形式に具体化されるという誤った仮定から出発しました。
はっきりしない思想が、明瞭な、しかも展開した言語的コミュニケーションの連鎖に変換されていく過程は、思考行為そのものとその過程の観察行為とを分割することが困難なために、記述することが困難でしたが、ヴィゴツキーは、「思想は言語行為に具体化されるのではなく、言語行為の中で完成される」ことを定式化したと述べられています。
彼は、主観的な、また語では定式化されないで主体だけに理解されている思想から、語で定式化された、任意の聴き手にも理解され、言語発話に定式化される言語の意義の体系へ移っていくこと(個人的意味から意義への移行)こそ、言語発話の形成の中心的問題としています。
次回、この続きの第一次意味登録、内言について読み進めます。
関
滋賀おんせいげんご 4/4 開催しました(^^)
1名、新規の参加者がおりました(^^) 。。。何年ぶりですかね(^^;)
まずはご協力いただいた音源を拝聴。両側の声帯に著しい運動障害をお持ちとのことでした。WavesurferにてPitch contour(音声の高さを表示する画面)にて拝見しましたところ…、Pitch(声の高さ)がある程度の上下を持っております。試しに参加者さんに同様の音声を録音して比較。…むしろ、症例さんのほうが上下してました…(^^;)
その後、「え~」発声などでPitchの上限を発声してくださった音源を拝見しましたが、ご年齢(高齢)にしていはむしろ良い高音ともいえるような…。ファルセットで良いような…。
とりあえず、声帯でのPitchの上下はある程度の範囲(年齢相応?)で産出できてそうなので、発声練習を続けて維持され、また冒険的に歌唱なんかもよいのはなかろうか?と(もちろん、本人のメンタルにも配慮が必要ですね。大病後の高齢者に失敗経験させるは忍びないので(^^;))。
こういう臨床症例について参加者みんなで議論するのは大変勉強になります。ご協力頂ける方がおられましたらお持ちいただいて、皆で音声を聞いて、見て、語って、なにかその人に良い糸口を探す。。。良い学びの機会になると思います。(そして、提案された方はステッカー、ゲットでした)
あとは古田のほうから、論文紹介。
Acoustic and language-specific sources for phonemic abstraction from speech | Nature Communications
Large-scale single-neuron speech sound encoding across the depth of human cortex | Nature
あと、記事も紹介しております。
New brain-computer interface allows man with ALS to ‘speak’ again
またほかの参加者さんから、小児分野の「聴覚的記銘力」と音声表出の関係について話題提起がありました。上記の論文にも関わることですが、ここはどっちが先かということも含めて慎重な議論が必要なところかとも思いながら、う~ん、今後も課題ですね。
また小児の症例提示がありまして、/k/の声門破裂音、鼻音化についてですね。/k/の鼻音化について、症例の音声と同じ波形になるように参加者数名がTryしてみたのですが、症例のほうがより閉鎖が明確というのが興味深い感じでした。うまく言えないですが、無声破裂音[k]の素質を持った軟口蓋鼻音…? 声門破裂音からの過渡期だからできる軟口蓋音でしょうか。う~ん、うまく言えないですが勉強になりました。これは時間オーバーで次回ということで。
また次回は6月頃を予定しております。
ご興味あられる方は気楽にご参加ください。
古田
音楽についてのMeetingのHPを作成しました。
以前から行っている音楽療法関係のMeetingのHPを作成しました。
まず、Meetingの名前をみんなで考えまして・・・「おと、ひと、ことば」としました!メンバー全員、とっても気に入ってます。
以下をクリックでどうぞ。
Music therapy meeting おと ひと ことば
興味のある方は気楽にメンバーまでお声掛けください。
音とヒトとことばについて、なかなか興味深いMeetingです。
古田
ELAN勉強会でした(^^)
ELAN勉強会を開催しました(#^^#)
講師役はメンバーの平松さん。遠方からオンラインでありがとうございました。
参加メンバーからは、考え方の視点が変わった!、新しい試みができる!など大変好評でしたね。
興味のある方はメンバーにお声掛けください。
また今後は具体的に分析してみるデータを持ち込んで、みなさんでやってみるという流れになるかなぁと思っていますので、ぜひ気楽にご参加ください。
付記:ELANについてリンクを載せておきます。
宮澤幸希氏(フェアリーデバイセズ株式会社)
古田
4月4日(金) 滋賀おんせいげんご 【予定】
おんせいげんごMEETING @G-NETしが 近江八幡
臨床の音声について、いろいろと語り合う勉強会を2か月に1回ペースで開催しています。
その音声についてもう少し掘り下げてみたい、臨床での関わりの糸口を探してみたい、そんなきっかけで開催しています。音声学や言語学の学びなおしにもなり、小児や成人を問わず、その音声についての自由な議論を通じて学んでいます。

次回予定:
【日時】4月4日(金) 18:30~21:00
【場所】G-NETしが 近江八幡
※駐車場無料、近江八幡駅から徒歩10分程度
【参加費】会場代÷参加人数。たぶん300円くらい。
【事前参加登録】不要。
【ご案内】
・音声データを持ち込む方は、個人情報の取扱いにご注意ください。
持ち込み音声:ICレコーダー(mp3)、スマホ動画などでもOK。
・プロジェクター、パソコン(CD、DVDの再生可)、スピーカーはあります。
・音響分析や音声学的解釈(IPAなど)については古田(京都先端科学大学)にて対応します。
※事前の予習や学びなおしは不要です。
・お問い合わせや議題に挙げてほしい内容(音声言語関連)のある方は、以下のURL(Forms)からご連絡ください。
https://forms.office.com/r/EktvWEugji?origin=lprLink
音楽療法Meeting 2024/11/28 @古田研究室
自閉症の1歳くらいまでの特徴
平板な発話が多い
音の知覚が難しいという既往もあるのではないか。なかには著しくモノマネがうまい子もいるので、知覚自体が難しいというよりも、注意の偏りではないか。
また施設にくる子のなかにはむしろ声すら出さない子も多い。
抑揚=イントネーション(超分節的特徴あるいは超分節的要素)
これは疑問文とかの文末を上げるなどや、自分が強調したいところを強めて発話するなどを示す。
コレって「他者」に自らの想いをより輪郭立てるために用いている。つまり、イントネーションなど超分節的特徴を操作するには、他者を意識することが必要では?
社会性に欠点を指摘される自閉症。その平板な発話は、まさに他者への意識がないから生じている、社会性がないから生じていると考えられるのではないか。
また、他者を意識しない人が物の名前を(呼称)をする必要があるか。それが何かは自分がわかっていれば良いわけで、その名を声に出して発音する必要がないのでは?つまり、呼称すら他者への意識がなければ積極的になれないのてはないか。
平板化する発話のみならず、話すことすらしない自閉傾向の子たちの様子は、そのような他者意識のなさ、社会性のなさからも多少は説明できるのではないか。
コラム:呼気量は調音のためのみにあらず?!
例えば、発話は結構長い文章を一息で話せるほど呼気の余力を持って行われている。これは「情報量をより多く伝えられる長い発話」を無事に遂行するためもあるだろう。しかし、それだけでなく、他者との情報や気持ちを共有するために超分節的特徴を使って音声を修飾するために、音に高低や強弱をつけて発音することなども含めて準備している、それも予定した余力ではないか?とも思う。
とかく、言語獲得は言語としての形の獲得のみならず、社会性をも包括した表現を得ることなのだろう…いや、言語は「社会(他者との共同体)」を形作る必要最低限の装置…とも言えるのではないか。
閑話休題…
大脳機能はゼロから始まって30を使うのではなく、100から7割方抑制することで、30を使っているとどこかで聞いたような。
つまり、理性的に(あるいは社会的に)振る舞えるというのは、社会性にみあうだけ脳機能を抑制した結果だと考えたい。そして、その「妥当な抑制状態」の輪郭を示すのが言語ではなかろうか?
不適切な行為が他者との関係性だった人が、音を介して他者と関係を持つ経験をして音声(言語)での表現が見られた。それに伴って「行為」での表現が減った。
前述のように、言語の仕様には他者を意識する必要がある。噛みつく、暴れる、無意味な発音を繰り返すなどの不適切な行為での表現は、他者を妥当な受け手として介していない。まるで脳機能は脱抑制の状態であり、相手の意を介せずに己の意向のみを本能的に動く。まるで感情脳(基底核)に反応した「野生」のような印象を受ける。
音声言語での表現は他者を意識することで発動する表現であり、それを表現手段として用いることは、少なくともいままでの不適切な行為よりは、まだ他者の存在を内包した表現手段だろう。
音声言語を表現のツールとして使うように導く音楽療法。
音声を用いるきっかけに、音声ではなりえない(ハードルが高い)。そこに、音をツールとして用いる音楽療法は、介入できるのではないか。
また療法士とのシンクロは、音を介して人との間を持つことであり、非言語での他者意識とも捉えられる。
音楽療法を通じて、音への興味と音を介して他者とつながることを楽しく経験する…。
音と比べて、音声言語は文法や語彙、また構造や法則など複雑怪奇ではある。しかし、自身の表現手段として音声を用いることへのステップとして、音楽療法があり得るのではないか。
以上。