臨床の学び舎おんせいげんご BLOG

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音楽療法Meeting 2024/11/28 @古田研究室

自閉症の1歳くらいまでの特徴

平板な発話が多い
音の知覚が難しいという既往もあるのではないか。なかには著しくモノマネがうまい子もいるので、知覚自体が難しいというよりも、注意の偏りではないか。
また施設にくる子のなかにはむしろ声すら出さない子も多い。

抑揚=イントネーション(超分節的特徴あるいは超分節的要素)
これは疑問文とかの文末を上げるなどや、自分が強調したいところを強めて発話するなどを示す。
コレって「他者」に自らの想いをより輪郭立てるために用いている。つまり、イントネーションなど超分節的特徴を操作するには、他者を意識することが必要では?
社会性に欠点を指摘される自閉症。その平板な発話は、まさに他者への意識がないから生じている、社会性がないから生じていると考えられるのではないか。

また、他者を意識しない人が物の名前を(呼称)をする必要があるか。それが何かは自分がわかっていれば良いわけで、その名を声に出して発音する必要がないのでは?つまり、呼称すら他者への意識がなければ積極的になれないのてはないか。
平板化する発話のみならず、話すことすらしない自閉傾向の子たちの様子は、そのような他者意識のなさ、社会性のなさからも多少は説明できるのではないか。

 

コラム:呼気量は調音のためのみにあらず?!
例えば、発話は結構長い文章を一息で話せるほど呼気の余力を持って行われている。これは「情報量をより多く伝えられる長い発話」を無事に遂行するためもあるだろう。しかし、それだけでなく、他者との情報や気持ちを共有するために超分節的特徴を使って音声を修飾するために、音に高低や強弱をつけて発音することなども含めて準備している、それも予定した余力ではないか?とも思う。
とかく、言語獲得は言語としての形の獲得のみならず、社会性をも包括した表現を得ることなのだろう…いや、言語は「社会(他者との共同体)」を形作る必要最低限の装置…とも言えるのではないか。


閑話休題
大脳機能はゼロから始まって30を使うのではなく、100から7割方抑制することで、30を使っているとどこかで聞いたような。

つまり、理性的に(あるいは社会的に)振る舞えるというのは、社会性にみあうだけ脳機能を抑制した結果だと考えたい。そして、その「妥当な抑制状態」の輪郭を示すのが言語ではなかろうか?

不適切な行為が他者との関係性だった人が、音を介して他者と関係を持つ経験をして音声(言語)での表現が見られた。それに伴って「行為」での表現が減った。
前述のように、言語の仕様には他者を意識する必要がある。噛みつく、暴れる、無意味な発音を繰り返すなどの不適切な行為での表現は、他者を妥当な受け手として介していない。まるで脳機能は脱抑制の状態であり、相手の意を介せずに己の意向のみを本能的に動く。まるで感情脳(基底核)に反応した「野生」のような印象を受ける。
音声言語での表現は他者を意識することで発動する表現であり、それを表現手段として用いることは、少なくともいままでの不適切な行為よりは、まだ他者の存在を内包した表現手段だろう。


音声言語を表現のツールとして使うように導く音楽療法

音声を用いるきっかけに、音声ではなりえない(ハードルが高い)。そこに、音をツールとして用いる音楽療法は、介入できるのではないか。
また療法士とのシンクロは、音を介して人との間を持つことであり、非言語での他者意識とも捉えられる。
音楽療法を通じて、音への興味と音を介して他者とつながることを楽しく経験する…。

音と比べて、音声言語は文法や語彙、また構造や法則など複雑怪奇ではある。しかし、自身の表現手段として音声を用いることへのステップとして、音楽療法があり得るのではないか。

以上。

音楽療法Meeting 2024/10/24 @古田研究室

絶対音感について
雑音にも音階?を認める人がいる。また440ヘルツ〜442ヘルツなど音階よりも細かい差異も聞き分けられる人がいる、つまり、一般的な音階の知覚は序の口で、周波数1Hzレベル、更には雑音(周波数を持たない)にも「音感」を知覚可能な人がいる。言い換えれば、特定の周波数から1Hzごとに連続的に変化する刺激に対して、そのまま変化量を知覚できる人と段階的(カテゴリ的)に知覚したがる人がいる。

赤ちゃんは言語獲得前は、音に対してそのまま知覚して模倣が可能らしい(文献より)。言語を獲得した後あたりからそれができなくなるとのこと。カテゴリとして知覚するという技術?を使い始めるからだろうか。音階に限らず、自分を取り巻く世界にある連続的な変化のなかに「区分け(カテゴリ)」を探すようになるからかもしれない。

カテゴリ知覚の結晶ともいうべき「言語」というシステムができるようになると、それを外した知覚ができなくなる。
言語獲得前は連続的、獲得後はカテゴリ知覚・・・。このカテゴリ知覚の「章立て」?「感度」?がもっとも過敏で、あるいは一旦の終了を得る頃合いを「臨界期」というのかもしれない。


以前の症例(3歳児)
メンバーNさんの訪問時、Nさんを模倣したような発音あり。音階知覚可能なNさんにとっては何と言っているかわからなかった。今思うとあれは、音階前の未分化な連続音の模倣だったのではないか。

 

音階の知覚(連続音に対するカテゴリ知覚)は、臨界期前の獲得が効果的だろう。
「獲得」はある程度たくさんの刺激を受ける中で、無意識的な自覚?が働き、そこにカテゴリ化する有用性に気が付いて獲得されるのではないか。音階の知覚だけ長けて、楽器をしない人はあまりいない(逆はいる)。そう思うと、特定の刺激群をカテゴリ化するためには、それを知覚することで自分にメリットがあるだろう…というような「用途」がないと獲得されていかないのではないか。用途を感じてそれに誘発されて獲得されるのではないか。

だから、単純な音の操作(模倣など含む)を音声の操作へと昇華するには、まず音の操作が自分にとって有意な行為であるという気付きがあり、その先に音声を使えることが、更に自分にとって有意義なツールであるという経験が必要ではないか。そのような自ら発する音が、周りの人との接点になるという経験を「音楽療法」が導いて、その先に音声を用いることが、周りの人との友好なツールとなるという「言語経験」に繋げれば、その大脳が今後は「言語」を使ってみようかなとならないかなぁ。

 

20代の症例
段々と音声言語の操作が増えている。2連の単語や「これでおわり」など。
以前は噛みつく殴るなど、行為で自分を表現することが多かったが、言語が増えるに伴って、その種類の不適切行為は減ってきた。音声で言葉として伝えることが、体動や髪付きなどで表現することをしなくても済むようにしているのではないか。

意思表現のツールとして言語を使うことは、相手への明確な意思をつたえられる。相手、つまり社会との接点となるか。つまり、自分以外へ暴れる、嚙みつくなどの一方的な不適切行為を通じて排除する(接点を持つ)のではなく、自分の想いを「ことば」でかたどって自身の音声で表現するという行為を、自分以外(つまり社会)と繋がるツールとして活用できるようになったのか。

 

言語を使うことは、社会性をおびる(あるいはまわりの人と共通の方法で関係を構築できる=社会)ということか。
確かに部屋の鍵を閉めなくなった。自分以外との関わり方にも変化が?とのこと(^^)

 

以上。

またの議論を楽しみにしております。

2024年10月26日、久しぶりのことのわ会を開催しました。

前回(3月)には、「思考と言語」の第Ⅸ講(複雑な形式の言語発話)で、言語的結合の2つの基本的図式(シンタグマ的組織化とパラディグマ的組織化)が、それぞれ文の構成において果たしている役割について、読みました。

・「経験のコミュニケーション」として現れるシンタグマ的形式の発話は、日常の言語行為の流れによって産出され、経時的で系列的に組織された特徴を持っている。

・「関係のコミュニケーション」として現れるパラディグマ的形式の発話は、複雑な言語コードを利用する過程で発生し、系列的に構成される発話の諸要素を同時的な(一時に把握できる)図式に変換することに密接に結びついている。

まず、上記のように説明され、発話の産出・理解において両形式に留意すべきだと述べられています。その後、シンタグマ的に組織された言語行為(文)のパラディグマ的成分について、ロシア語における分析が示されました。

 

今回は、第Ⅹ講(展開した言語的コミュニケーションとその産出)の前半を読みました。この講では、言語発話の「形成」および「理解」の心理学的な経過が検討されます。


まず、言語発話の産出の出発点が、「発話の動機(一定の内容を表そうとする欲求)」であると述べられます。

 

発話の動機についてスキナーは以下の3種を挙げています。

  1. マンド(mand):要求
  2. タクト(act):情報的な特徴を持つ呼びかけ
  3. セプト(cept<concept):自分の思想をより鮮明に定式化したいという願望

>これらのどの一つも生じなければ、言語的コミュニケーションはつくり出されない。

 

・睡眠状態、大脳の前頭葉の深部領域が広範囲に両側に損傷を受けた場合

自閉症者の心理の動機的平面が重度の障害を受けた場合

言語行為が潜在的に保持されていても、能動的な発話が完全に脱落すると説明があります。

 

・「ああ」「ほうら、そう!」等々の感情的な叫び声

>複雑な動機を必要とせず、「意味的な負荷」も持っていない。

>それらは大脳が広範囲にわたって損傷を受け言語行為を失っている場合ですら、保持されうると示され、これらは真の意味の言語的コミュニケーションの単位とみなすことはできないとされます。

 

次に、複雑な形の言語的コミュニケーションとして、「対話」について述べられます。

一人の人が質問し、もう一人がそれに答える。この場合、発話の動機は、「相手の質問に答えようとする願望」であって、発話は、能動的な過程というよりも、むしろ、反応的、応答的な過程なのである と述べられます。
(この続きに、大脳の前頭葉が広範囲にわたる損傷を受けた場合に、いかなる能動的な心理活動が消失してしまうが、与えられた質問に対する反響的な応答は保持される=反響言語 について紹介があります)


その次に、「自発的な口頭独話」について述べられます。展開する口頭独話の基礎には、自発的な動機と内的意図(ザムウィスル)があり、ぞれらが十分安定していて言語発話のプログラムを決めるとされます。

 

続いて、発話の内的意図について説明されます。
もう少し先まで読みましたが、次回ここに戻って、「発話の形成」の心理学的過程をじっくり学びたいと思います。

 

今回は、発話が「相手の質問に答えようとする反応的、応答的な過程である」と改めて学び、失語症の方の言語訓練において会話が最重要である ことに立ち戻ることができました。
極めて基本的なことでありながら、「訓練」を考えるときに、その重要さを少し横に置いてしまうことがありそうです。

 

滋賀おんせいげんごを開きました。

えぇ、滋賀おんせいげんごを結構、定期的に開催しているんです。

滋賀県言語聴覚士会にも告知しているんです。

不思議と参加者は増えません(笑)

 

まぁ、音声言語に興味のある方はぜひ気楽にご参加くださいね。

 

一応、最近、諸事情により、集客を考えているんですが…。

どうにも「音声言語」とか「音響分析」とか「古田」とか書いていあるとマニアックな感じがして、県士会からの連絡は見るけれども、気乗りしない…。文言はなんか緩そうな雰囲気を出そうとしているけれども…音響分析とか書いてあるから逆にハードルが高い感じがする…

…そんな感じが醸し出されているのでは??というメンバーからの指摘があって、もう少し気乗りしそうなレターを送ろうと考えております。

内容はやはり、ざっくばらんな意見交換会と音声をもとにした症例検討ということなので、それは大きく変わらないので、そこをなんとか、こう・・・まぁ、気長にいきましょう。

 

とかく、今回も興味深いMeetingとなったことは確かです。

気になっている方は気楽にご参加いただければと思います。

次は11月くらいかと思います。

 

古田

ELAN講習会を行いました。

ELAN勉強会をしてみました(#^^#)

 

この「おんせいげんご」のメンバーにELAN経験者がおりまして、それにあやかる形で8名、あつまりまして、ELAN講座を開催しました。

 

このソフト、すごいですね。

最初にDLにてこずりましたが、その後はなんとも簡単にできてしまいました。

言語聴覚の領域でもかなり使用できるように思いますね。参加者もあれこれとつかえると言っておりました。

 

詳細は書けませんが、こんな感じで講習会的なMeetingもいいですね。

一応、今回は音声データをモチーフに行いましたので、次回は動画に注釈をつける講習会を開催予定です(^^)

 

興味のある方は気楽にご参加を。

(メンバーに一声かけておいてくださいね。)

 

古田

新しいブレイン・コンピューター・インターフェースにより、ALSの男性が再び「話す」ことが可能に

New brain-computer interface allows man with ALS to ‘speak’ again

New brain-computer interface allows man with ALS to ‘speak’ again (ucdavis.edu)

 

カリフォルニア大学デービス校ヘルス校で開発された新しいブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)は、脳信号を最大97%の精度で音声に変換します。これは、この種のシステムの中で最も精度が高いシステムです。

研究者たちは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)により言語が著しく損なわれた男性の脳にセンサーを埋め込みました。その男性は、システムを起動させてから数分以内に意図したスピーチを伝えることができました。

 

さて、どんどんこういう技術が進んでまいりますね。

まぁ、たぶんスマホを使った実用化はある程度の期間でできるでしょうが、高精度のものは、むこう10年くらいはお金持ちだけが使える技術でしょうね。いまだに高齢者の補聴器はお金持ちのアイテムですからね。スマホアプリにすれば今からでも孫のイヤホンで実現できるのに。

 

そう思うと、こういう技術革新をそれが必要な人々へ伝えていく役割が社会的に必要でしょうね。いつまでもSL〇Aの検査用紙はコピーしちゃダメとか、手書きでとか、ストップウォッチとか・・・もう職能集団としての社会的信頼すら危ういですね…。残念です。

 

滋賀おんせいげんご 9/20

次回の滋賀おんせいげんごは、9月20日(金)の夕方を予定しています(^^)

主に小児分野の音声の分析と解釈というところですかね。

またご自由にご参加ください。気になる音声がありましたら気楽にお持ちください。

 

滋賀おんせいげんご

滋賀 | onsei-gengo (jimdosite.com)