自閉症の1歳くらいまでの特徴
平板な発話が多い
音の知覚が難しいという既往もあるのではないか。なかには著しくモノマネがうまい子もいるので、知覚自体が難しいというよりも、注意の偏りではないか。
また施設にくる子のなかにはむしろ声すら出さない子も多い。
抑揚=イントネーション(超分節的特徴あるいは超分節的要素)
これは疑問文とかの文末を上げるなどや、自分が強調したいところを強めて発話するなどを示す。
コレって「他者」に自らの想いをより輪郭立てるために用いている。つまり、イントネーションなど超分節的特徴を操作するには、他者を意識することが必要では?
社会性に欠点を指摘される自閉症。その平板な発話は、まさに他者への意識がないから生じている、社会性がないから生じていると考えられるのではないか。
また、他者を意識しない人が物の名前を(呼称)をする必要があるか。それが何かは自分がわかっていれば良いわけで、その名を声に出して発音する必要がないのでは?つまり、呼称すら他者への意識がなければ積極的になれないのてはないか。
平板化する発話のみならず、話すことすらしない自閉傾向の子たちの様子は、そのような他者意識のなさ、社会性のなさからも多少は説明できるのではないか。
コラム:呼気量は調音のためのみにあらず?!
例えば、発話は結構長い文章を一息で話せるほど呼気の余力を持って行われている。これは「情報量をより多く伝えられる長い発話」を無事に遂行するためもあるだろう。しかし、それだけでなく、他者との情報や気持ちを共有するために超分節的特徴を使って音声を修飾するために、音に高低や強弱をつけて発音することなども含めて準備している、それも予定した余力ではないか?とも思う。
とかく、言語獲得は言語としての形の獲得のみならず、社会性をも包括した表現を得ることなのだろう…いや、言語は「社会(他者との共同体)」を形作る必要最低限の装置…とも言えるのではないか。
閑話休題…
大脳機能はゼロから始まって30を使うのではなく、100から7割方抑制することで、30を使っているとどこかで聞いたような。
つまり、理性的に(あるいは社会的に)振る舞えるというのは、社会性にみあうだけ脳機能を抑制した結果だと考えたい。そして、その「妥当な抑制状態」の輪郭を示すのが言語ではなかろうか?
不適切な行為が他者との関係性だった人が、音を介して他者と関係を持つ経験をして音声(言語)での表現が見られた。それに伴って「行為」での表現が減った。
前述のように、言語の仕様には他者を意識する必要がある。噛みつく、暴れる、無意味な発音を繰り返すなどの不適切な行為での表現は、他者を妥当な受け手として介していない。まるで脳機能は脱抑制の状態であり、相手の意を介せずに己の意向のみを本能的に動く。まるで感情脳(基底核)に反応した「野生」のような印象を受ける。
音声言語での表現は他者を意識することで発動する表現であり、それを表現手段として用いることは、少なくともいままでの不適切な行為よりは、まだ他者の存在を内包した表現手段だろう。
音声言語を表現のツールとして使うように導く音楽療法。
音声を用いるきっかけに、音声ではなりえない(ハードルが高い)。そこに、音をツールとして用いる音楽療法は、介入できるのではないか。
また療法士とのシンクロは、音を介して人との間を持つことであり、非言語での他者意識とも捉えられる。
音楽療法を通じて、音への興味と音を介して他者とつながることを楽しく経験する…。
音と比べて、音声言語は文法や語彙、また構造や法則など複雑怪奇ではある。しかし、自身の表現手段として音声を用いることへのステップとして、音楽療法があり得るのではないか。
以上。