認知言語学について
『認知言語学 大堀壽夫著 東京大学出版会』の「第1章 認知言語学とは何か」を引用、参照しながら、認知言語学という学問について紹介します。
1.1 ことばから見たこころ
どんな学問にも、その出発点となる問題意識がある。
>認知言語学の問題意識
ヒトのクチから出てくる音声は、それ自体では単なるノイズに過ぎない。それにもかかわらず、われわれが言語によってある出来事を描き出し、対話の相手と協力し合えるのは、よく考えると驚くべきことではないだろうか。こうした営みが可能なのは、われわれが受け取る言語の意味を理解し、それによってひとつの世界を作っているからである。それはヒトのこころの働き、すなわち認知活動のなかでも最も重要なものの一つである。言語はヒトの経験する世界をどのように作り上げているのか、またそうした世界はどんな特性をもっているのか。
われわれが言語によって現実を理解し、行動する仕組みを明らかにする試みと言ってもよい。
1-2 基本的な立場
現実構成主義
言語によって経験の世界が作られるというのは、実際にはどういうことだろうか。
例:グラスに残った半分の水
- 客観的な事実は1つ。
- その事態をどのように捉えるかは1つではない。
- 「半分もある。」
- 「半分しかない。」
例:坂
- 同じ対象を相反する視点から捉えている。
- 「上り坂」
- 「下り坂」
これらの例における表現は、言語の話し手が世界の一面をある捉え方(construal)をもとに把握した結果、出てくる表現である。
言語がわれわれの経験する世界を構成するという時、重要なのはどのような捉え方がとられているかという問題である。言いかえれば、ヒトの生きる世界は「ありのまま」の現実ではなく、認知活動によって構成されたものだということである(現実構成主義:constructivism)。
>現実構成主義を支持できる言語のさまざまな側面
「穴」「跡」「失う」「休む」
- これらの語は、何かが欠けていることを積極的に表現する語と言える。
- 客観的な事実として考えれば、「穴」自体はモノとして存在するわけではない。
- 実在するのは「縁取り」である。
- われわれはそれに囲まれた何もない部分を、あたかも実態があるかのごとく「穴」と捉えているのである。
「この辺は活断層が集まっている。」
- 表されているのは、活断層があたかもどこかから「移動」して、今の場所に集まったかのような事態の捉え方である。
- 伝えられるのは客観的な位置関係というよりは、想像上の「移動」によって構成された配置。
>言語は自ら構築した世界の「まことらしさ」のなかで使用される。
ヒトの認知活動を考える時、重要なのは客観的な事実に基づいた真か偽かの判定ばかりでなく、自ら構成した世界の中で出来事が持つ「まことらしさ」なのだという考えに辿り着く。
ヒトは豊かな想像力を持った生き物だといわれる。それは架空の出来事を思い描く能力だけではなく、日常の言語使用においても広く反映している。
>客観的な保証のない「まことらしさ」に価値がないという考えは誤り。
対象の捉え方が言語にどのように組み込まれているかを明らかにすることは、認知活動の核心に触れる問題設定である。
言語の際立った特徴の一つは、「ありのまま」の現実を写しとるだけでなく、出来事を多様な捉え方をもとに描き出すための手段を備えているという点である。
>世界をこころの中に作り出すという作業
- それは客観的な現実のすべてではなく、その一部に注目する。
- ヒトの認知活動は限られた領域の中で行われる。
- そうして作られた世界は、固定したものではなく、状況に応じて更新されるという性質を持つ
>「まことらしさ」が作られるのも、このような局所化された世界の中においてであると言える。
経験基盤手技
その人の「まことらしさ」を生む世界は、その人個人の主観の世界ではない。われわれが、お互いの間で言語による伝え合いが可能なのは、そのしくみが、ある共通の土台の上に成り立っているからである。
>その土台の中で最も重要なのは、ヒトが持つ基本的な認知能力である。
われわれが経験の世界を作り上げる時・・・
- 周囲の環境から情報をうけとり
- 情報を記憶に貯え
- 必要に応じて呼び出す
- そうした情報をもとに考えを巡らせる
こうした能力が必要不可欠であり、言語のはたらきを可能にする基本条件となっている。
>認知活動はヒトとして誰もが共有する身体の経験と密接に結びついている。
例:上下、前後の方向は身体の特徴をもとにして得られる概念
- 上-良い…「舞い上がる」など。
- 下-悪い…「落ち込む」など
このような意味の拡張は、身体の経験に根差した感覚から生まれる捉え方である。自然物と人工物を問わず、われわれの身の回りにある生活環境は、慣習化された捉え方を提案する。
>認知活動は日常の経験を基盤として…。
認知活動は身体的なものであれ、社会・文化的なものであれ、日常の経験によって、その枠が与えられるとする立場を経験基盤手技という。世界の構成は無制限に行われるものではなく、一定の条件の上に成り立っているわけである。
>動機づけ
言語の構造がこのような意味での経験的基盤をもつとき、そこには動機づけ(motivation)があるという。
こうした見方に立てば、言語を多様な認知機能から切り離して論じるのは不自然である。
認知言語学が目指すのは「人間は言語をもつ」という主張と、「人間は知能をもつ」あるいは「人間は文化をもつ」という主張に共通する基盤を明らかにし、その上でヒトの特性を理解することである。したがって、分析・説明を行う時には純粋に言語に関わることだけを視野に限定せず、その経験的基盤に注目しつつ論じることを基本姿勢とする。
普遍主義と相対主義
日本語、英語、中国語、アイヌ語・・・異なった言語を比較すると、言語間には共通する面と相違する面があることに気づく。
>共通する面に注目する。
→つまり、すべての言語が持つと思われる特性を追求する。
→普遍主義(Universalism)
認知活動にヒトとしての共通の基盤が存在することを考えれば、どんな言語にも共通する特性があるという考えは説得力がある。
>相違に注目する。
→それぞれの言語の独自性を強調する。
→相対主義(relativism)。
この立場が極端になると、言語を比較して共通点を見いだすことに意義を認めようとしない場合もあるが、それはあまり生産的ではない。重要なのは、言語ごとの違いにきめ細かく目を配りながら、適切に比較できるような枠組みに照らして考えることである。
>言語類型論という分野がある。
普遍主義と相対主義をバランスの取れた方法で解決しようとしている分野。
- 言語間にバリエーションがあるのは誰もが認めるところ。
- だが、それはランダムでなく、一定の法則性を持つと考えられる。
つまり、バリエーションには制約があり、ある条件に従って言語ごとの違いが出てくるとする立場。
例:関係節の類型
※関係節(かんけいせつ、relative clause)とは、名詞を修飾する節のうち、被修飾名詞が修飾節の中で項(主語・目的語など)や付加詞として働いているものである。(引用:Wikipedia 2020/07)
日本語では「学生が本を借りた」から…
→「本を借りた学生」・・・「学生」についての関係節化が可能。
→「学生が借りた本」・・・「本」についての関係節化が可能。
しかし、マラガシ語(マダガスカル,オーストロネシア語族)では、主語「学生」についての関係節化のみで、「本」については不可能。
以下のような日英の違いもある。
「A student borrowed a book from the teacher's room.」
「学生が先生の部屋から本を借りた。」
「The teacher who a student borrowed a book from the room.」
*「学生が部屋から本を借りた先生。」←日本語としてはやや不自然。
このように関係節を作るという操作のできる範囲は、言語によって異なっている。つまり、相対性の例といえる。しかし、こうしたバリエーションには一定の法則性がある。関係節によって修飾される名詞句の文中での地位、つまり関係節化として容認可能な要素に、以下のように階層性が指摘できる。
主語>直接目的語>間接目的語>前置詞>後置詞句
どこまで関係節が作れるかは言語によって異なるが、例えば、直接目的語で関係節化が可能ならば、それ以下の階層はどれも関係節化ができるという一般化が成立している。重要なのは、関係節化の階層そのものは普遍性を持っており、その階層性を飛び級するような「虫食い状態」の言語はおそらく存在しないということである。
世界の言語を対象として、このようなアプローチをとることで…
- 世界の言語に共通する法則性
- 個別言語ごとのバリエーション
…を適切に捉えることができる。
言語類型論はひとつの確立された研究領域であるが、そこで得られる上記のようなバリエーションとその背後の法則性は、私たちの認知活動を理解するうえでも重要な手がかりとなる。そして、以下のように問いかけることができる。
例:関係節化に対する普遍的制約には、どんな経験的基盤があるのだろうか。
このような問いに答えるには、関係節の働きを認知活動の視点(例えば文中の語句に対する話し手の注意の向け方など)から考えて説明を組み立てる必要がある。このようなアプローチは言語構造の側面にも適用することができる。
1.3 認知言語学成立の背景
認知言語学は認知科学(Cognitive science)と呼ばれる人の認知のはたらき全体を研究する領域(心理学、哲学、人類学、神経科学、生物学、コンピューター科学などを含む)の一分野である。
1900-1920年代
ボアスとサピア(Franz Boas、Edward Sapir)はアメリカ先住民の文化を理解するために、英語圏の言語とは大きく異なる彼らの言語を対象にして、異なった言語では出来事をどのように捉えるのか?という視点を向けていた。
しかし、当時のアメリカの主流は、意味の問題を避けて、音声や語の形のように観察可能な対象を分析するという狭義の構造言語学であった。また、この時代では言語について見られる法則性は、他の知識や能力からは独立しているとして言語の自律性を掲げていた。
1950年代末
構造言語学はチョムスキー(Noam Chomsky)の提唱する生成文法(Universal grammar)にとって代わった。
〈生成文法〉
- 言語は刺激-反応のような条件によって発せられるのではなく、ヒトの内面の知識に支えられているとする。
- 文の構造を規定するための数理モデルを体系化した。
- 言語理論の目的は、限られたデータの分類から、無数の文の生成を説明するための規則へと重点を移す。
1960-70年
文の構造についての理論は大きく進歩し、研究の視野も広がった。しかし、同時に研究の発展は生成文法の限界をも明らかにすることになった。
言語の働きを詳しく分析していけば、出来事の捉えかたがどのように反省されているかを考えに入れるのは当然であろう。
生成文法の「設計思想」は、言語が作り出す世界の豊かさを適切に取り扱うようにはできていない。言語を自律的な対象として見る点では構造主義と同じであった。結果として生成文法は限られた現象を集中的に取り扱う方向を取ることになった。
一方で、意味の問題への関係が強く、自律性の立場に否定的な言語学者たち(この流派を生成意味論(generative semantics)と呼んだ。)は主流から離れていき、のちに認知言語学の推進役を務めることになった。
1970年代後半
言語類型論が盛んになった。その内容は「タイプの異なる多くの言語について、どのおうな類型や共通性があるかを探ることが目的であったが、その過程で、ある法則性の背後にある動機づけについての議論が深まり、多くの洞察がもたらされることとなった(これも認知言語学への影響減の一つ)。
1980年代
多くの学問分野で新しい発展が見られ、それまでになかった問題設定や分析の方法が出された。結果、今日に繋がる形で認知科学が大きく発展した。その中で、広い視野に立って言語の探求を進めようとする試みが活発になった。それは次第に明瞭な形を取り、認知言語学という分野が成立することとなった。
1980年代後半
理論上の指導者であるG.レイコフ(George Lakoff)とラネカー(Ronald W. Langacker)の著作を始めとして重要な成果が相次いだ。
1990年 国際学会結成。
要約すれば…
認知言語学は言語の作り出す世界の豊かさへの関心という点で、ボナス=サピアの伝統を引き継ぎ、理論と方法において新たな研究成果をとり入れながら発展した言語理論といえる。
【文献案内】
簡潔で面白く読める文献
- Thagard(2005):Mind:introduction to cognitive science.
『マインド』共立出版
新しい立場から公平に全体像を示しており勧められる文献
- Bechtel & Graham(1998):A companion to cognitive science.
- 入門書
- Taylor(1995):Linguistic categorization : prototypes in linguistic theory.
- Ungerer & Schmid(2006):An introduction to cognitive linguistics.
- 『認知言語学入門』大修館書店
- 河上(1996):『認知言語学の基礎』研究社出版
- 坂原(1998)共著:『言語の科学4:意味』
- Driven & Verspoor(1998):Cognitive exploration of language and linguistics.
- 杉本(1999):『意味論2:認知意味論』くろしお出版
- Lee(2001):Cognitive linguistics : an introduction.
幅広い話題を扱ったハンドブック
- 辻(2001):『ことばの認知科学辞典』大修館書店
教育的な配慮をもった研究論集
- Tomasello(1998:The new psychology of language : cognitive and functional approaches to language structure.
- 西村(2002):『認知言語学Ⅰ:事象構造』東京大学出版会